決められたルートか、自分で引く時刻表か|宗像のまちづくりと働き方を考える社長週報

2026.05.25
宗像の自然と雨の日の読書風景を背景に、決められたルートか自分で引く時刻表かをテーマにした、株式会社くりえいとの社長週報アイキャッチ画像

福岡県宗像市の株式会社くりえいとでは、代表・宮崎から従業員へ毎週、業務や日々の気づきを綴った週報が届きます。今回は、時刻表、読書、不動産市況、物語を手がかりに、まちづくりや働き方、採用にもつながる価値観をひもときます。

福岡県宗像市の株式会社くりえいとでは、毎週社長の宮崎から従業員向けに、業務や週の気づきが5000文字超(原稿用紙10枚超)の週報が送られてきています。せっかくなので、差し支えない範囲で公開させて頂ければと思います。なお、まとめるのが大変ですので、そこはAIにお任せして、編集部で微修正をしております。


決められたルートか、自分で引く時刻表か

アルゴリズムに支配されつつある日常のなかで、偶然性・物語・共同体の豊かさを問い直した4月の記録。

晴れた日は外で遊び、雨の日は家で本を読む暮らしを表現した宗像のイメージ画像
晴れた日は外で遊び、雨の日は本を読む。環境と記憶が、その人らしい行動をつくっていく。

紙の時刻表が教えてくれる「自分で選ぶ」という感覚

4月のある朝、向かいの座席に紙の時刻表を持った人が座っていた。
あの分厚い冊子だ。
ページをめくる指に、行き先を「引く」という感覚がある。
アプリと違い、紙の時刻表には通過する駅の名前がすべて印刷されている。
目的地までの時間ではなく、「駅の名前の幅」として、その距離が目に入る。
私はその旅人がひどくうらやましかった。
現在の彼には自分で選ぶ道がある。私には決められたルートをたどることが定められている——そんな気がしたからだ。

宗像鉄道の時刻表と開いた時刻表の本が並ぶイメージ画像
目的地までの最短ルートではなく、通過する駅の名前をたどりながら旅を考える。紙の時刻表には、偶然を選ぶ余白がある。

Google Mapでは、私たちの行動を最適化してくれる。ストリートビューは地球のほぼすべての道を歩けるようにしてくれた。すべての道はGoogleに通じる時代に、私たちは自ら選ぶことを少しずつ手放していないか。


晴遊雨読。記憶と環境がつくる、その人らしさ

同じことを、別の角度から考えた週もあった。
雨の日に本を読む。これが私の至上の喜びだ。
子どものころ、雨が降ると外に出られないから読書するしかなかった。
晴遊雨読。その原体験が、今も雨音を聞くと落ち着いて本に向かわせる。
人の行動パターンは、周辺環境がつくりあげる。
アルゴリズムではなく、記憶と経験の積み重ねが「その人らしさ」をかたちづくる。

宗像市の地島に渡ったとき、島の人たちが「オカノヒト」という言葉を使っていることに気づいた。陸の人、という意味だ。
裏返せば、彼らは自らを「海の人」と定義している。
共同体意識は幻想かもしれない。しかし、その幻想が人を支え、つなぎとめる安全弁になっている。「個」を強め過ぎることも、警戒しないといけない。


不動産市況から考える、貨幣に頼らないまちづくり

4月の終わりには、世界の不動産市況を俯瞰する本を読んだ。
強欲が資本主義のエンジンだとすれば、そのエンジンは確かによく回っている。
しかし、お金に色はなくても、資本主義が万能でないことも確かだ。
私がずっと考え続けているのは、貨幣に頼らないまちづくりにそのひとつの解があるのではないか、ということだ。

都市の不動産開発と資本の動きをボードゲーム風に表現したイメージ画像
不動産や都市開発を、資本だけで動かすのではなく、地域の関係性やまちづくりの視点から捉え直す。

ほら吹きがいなくなる時代に、物語は残るのか

そして、ほら吹きが絶滅しつつある話。
昔の近所のおじさんたちは、ウソか本当か分からないスケールの大きな物語を語ってくれた。真実性がすぐ調べられる時代に、そういう語り手は姿を消した。
しかし、我知らずニヤッとしてしまうようなほら話には、アルゴリズムが生み出せない人間の温度があった。

物語を語る老人と消えゆく語り手たちを描いたイメージ画像
すぐに真偽を確かめられる時代だからこそ、余白のある物語や人間味のある語りの価値が見えてくる。

効率化の時代に、セレンディピティを持ち続けられるか

あらかじめ引かれたルートを走ること、そして自分で時刻表を引くこと、これらはどちらが豊かか。

効率と最適化が支配するこの時代に、セレンディピティを楽しむ余裕を、私たちはまだ持っているだろうか。

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