宗像市で開催された”遊び場事業部 H”が企画に関わる「THE KAIDAN -怪談好きが会談する夜会-」第2夜。
会場となった山あいの古民家には、“怖いのに耳を澄ませてしまう”という人間特有の矛盾した好奇心に導かれ、多くの参加者が集まりました。怪談を語り、妖怪を語り、そして自分の“好き”を語る──。その場で生まれた熱量と自由さは、宗像というまちに新しい創造性の芽を感じさせるものでした。
第2夜は山あいの古民家へ。怪談好きの熱気が満ちる夜
先日開催した「THE KAIDAN」第2夜は、前回よりもさらに雰囲気のある山あいの古民家を舞台に行われました。
「心霊写真コーナー」や、ジャンルがランダムに書かれた「怪談くじ」など、新たなしかけも加わり、夜会は独特の高揚感に包まれました。どこから聞きつけたのか、今回は取材も入り、会場の温度は一段と上昇しました。
驚かされるのは、「自分の怪談」を自然に語る参加者がこんなにも多いという事実です。
それぞれが経験した、あるいは身近な人から聞いた不可解な出来事を共有し合い、まるで日常から一歩踏み出した“異界の談話室”のような空間が広がっていきました。
なお怪談の内容については……ぜひ次回、直接足を運んで体感してください。私は怖すぎて何度も身体が跳ね上がりました。

.jpg)
怪談を語り合う場が生む、宗像の「まだ見ぬ感性」との出会い
このイベントは、怪談が好きな人が語り手となり、自分の体験を共有する交流の場です。
もう一つの大きな目的は、宗像市に潜む“怪談・妖怪好き”の仲間を探すこと。誰かが語る物語の中に、自分の内側にある感性と似た何かを見つける瞬間があります。
語り合いは、単なる恐怖体験の共有にとどまりません。
参加者同士が“なぜ怖いのに惹かれるのか”という感覚を言語化し、互いの背景や世界の見え方に触れることができる。
その経験こそが、宗像に新しい文化の土壌をつくる一歩だと感じています。
妖怪への親しみと、創造の源泉としての「恐怖」
実は私自身、いわゆる“怪談そのものが好き”というタイプではありません。
惹かれるのは妖怪。特に河童や座敷童のように、どこか愛嬌があるのに、得体の知れない影をまとった存在です。
子どもの頃、怖いテレビ番組には怯えてチャンネルを変えていたのに、好きな男の子には「怖いから守って」と甘える──そんなちゃっかりした使い方もしていました。
怖いのに惹かれる。
その矛盾した感情こそ、怪談や妖怪の“魔力”なのだと思います。
妖怪と怪談は似ているようで異なります。
妖怪は“存在そのもの”。
怪談は“語られる物語”。
登場するからといって、妖怪=怪談ではありません。
私が苦手なのは、むしろ人の霊が中心となるリアルな怪談。あの生々しさがどうにも怖いのです。
それでも幼い頃から、河童伝説の「尻子玉」のような理解できない存在に心を奪われてきました。同じように、妖怪に不思議な親近感を抱く人はきっと多いはずです。

“見えないもの”を想像する自由さが、宗像の創造性を広げていく
妖怪とは、私にとって“創造性の源泉”です。
「あるはずのないものがそこにある」
「誰もいないはずの夜に声がする」
こうした説明のつかない出来事を前に、人は想像を働かせ、物語を紡ぎ続けてきました。
妖怪の魅力は、輪郭が決まっていない自由さにあります。
大きさも性格も境界も曖昧だからこそ、人の想像力を刺激し、何かを形にするエネルギーになるのだと思います。
宗像市から、この“自由な創造性”を発信できたなら、
自分の「好き」を堂々と語れるまちになるのではないか。
誰もが「実は私もこんなアイデアがあって…」と自然に話したくなる。
その瞬間こそ、新しい創造が芽を出す合図です。
妖怪や怪談は、そのきっかけを与えてくれる存在です。
宗像に「好きが混ざり、未来がつくられる文化」を育てたい
THE KAIDAN を通して生まれたつながりや会話は、宗像に“新しい文化”が芽吹く可能性を秘めています。
怖いのに、惹かれてしまう。
理解できないけれど、気になってしまう。
その曖昧で自由な感情こそ、人の創造を動かすエンジンです。
これからも宗像市で、妖怪・怪談好きの仲間を探しながら、いつか本格的なイベントをつくっていきたい。
宗像というまちが、多様な感性を受け止め、かけ合わせ、未来をつくる場所になるように──そんな願いを込めています。