レアル・マドリードからまちづくり
RealMadrid 2-0 Levante

2026.01.19
levante UD flag

Al final del artículo encontrarás la versión en español.

僕、代表 宮崎は30年を越すスペインサッカーのとりこで———、というよりも、より正確に言うなら、熱狂的なマドリディスタ(レアル・マドリード)である。
そして、僕の夢は、いつか「宗像市でレアル・マドリードを軸にしたコミュニティをつくる」。(ここまで前回と同じ)


新年おめでとうございます!

今年もHala Madrid!で一年を気持ちよく始めていきましょう!


シャビ・アロンソ解任が突きつけた組織の歪み

今週はファンに衝撃が走った。

シャビ・アロンソ解任———-

スーペルコパの敗戦を受けてもたれたクラブとアロンソの話し合いによる合意解約、という公式発表だった

ここに至るには様々な要因があって、外部の我々が真相に至るのは至難の業だ。

ただ、想像は自由で無料。

やはり一番大きかったのはクラブが選手をマネジメントできず、かつコーチ(アロンソ)に権限を持たせなかったことではないかと僕は考えた。

アロンソが「(あまりにも規律のない選手たちに)ここは幼稚園か!」と叫んだという11月ごろから、(このブログでも書いたが)アロンソは思い切った采配ができなくなっていた。

(選手を幼稚園児に模した合成写真のInstagramが流布されていて、これはこれでひきつるような笑いの皮肉だった)

あれはアロンソの戦術でも、策略でもなかった。

あれは、アロンソの強い義務感、というか責任感がもたらしたある種の「解」だったのだ。

サッカーボールの横に立つ犬の写真。フットボールをめぐる比喩的イメージ
特に意味はない揶揄ではない

勝者を讃えないチームに未来はあるのか

アロンソと先週の主従関係の変化は、スーペルコパの後の現地放送にもそれが伺われるシーンがあった。

試合終了後、優勝したバルサに敬意を表そうとしたアロンソが勝者を讃えるアーチを作るぞ、とピッチ内で選手にゼスチャーしていた。

それに対し、ピッチサイドあたりにいた、エムバペが「おい、そんなことせんぞ!帰るぞ!ピッチを出ろ!」みたいな感じで左手を大きく出口側へスゥィープ。

そして1秒後にはエムバペの横にいたロドリゴまでが同じポーズで、アロンソやピッチに向かっていたサンダル姿のハウセンにアピール。

そしてマドリーはバルサの選手を讃えることなく、サウジアラビアのスタジアムを去った。

これは僕がアロンソだったら耐えられない。

ロドリゴ、お前もか!

である。

そしてこの瞬間、僕は僕自身がかつてとてもエムバペが嫌いだった(毛嫌いしていたと言っていい)ことを今さらのように思い出して、口の中に嫌な味が広がった。

そして24時間後、後任はアルベロアに決まった。


誰が責任を負うべきか──マドリディスタの矜持

今後、マドリーに世界的な現代フットボールのコーチが就任するとは思えない。

「幼稚園児」相手にものを教えることは至難の業だ。

そこにせめてクラブの支持があればともかく、それすら与えられない中間管理職に革命は起こせない。

誰がわざわざ自分のコーチとしてのキャリアを汚しに来るだろうか。

名誉?

その発想の時点で失格である。

ただ、溜飲が下がることもあった。

マルカのアンケートはまたもマドリディスタの矜持といってよい、その高い民度をみせたのだ。

今回の退任の責任はどこにある、という質問に対し、40%超がペレス会長、同じく40%超が選手、アロンソは6%との集計結果が出ていた。

マドリディスタを侮ってはいけない。


相手を消す戦術がもたらす退屈な敗北

さて、スーペルコパは2試合とも観たので簡単に。

セミファイナルの対アトレティコは力負け。

ファイナルのバルサにはリスペクトを示し過ぎた。

メンバー選考とその守備的戦術にも驚いた。ペップバルサに粉砕されたモウ(モウリーニョ)が恥も外聞もなく敷いた3ボランチを彷彿とさせた(当時の3ボランチの1枚にアロンソも間違いなくいた)。

基本的に、相手の良さを消す、というゲームプラン(ビジネス)には勝機が薄いことを、僕たちは学んだはずだったのに。

これについては、戦術的にバルサの左サイドをうまく封鎖した、とみる向きもあるだろう。

だけど、そんなサッカー(ビジネス)にどんな興奮と未来があるだろう。

そして結果的に負けた。

その後、前述の出来事があり、そしてアロンソは解任された。


アロンソに捧ぐ、そしてアルベロアへ

まだまだとっておきのネタもあったのに。

アロンソがたまにハリウッド俳優のマーク・ウォールバーグに見える、というのもその一つだったが、ベストなタイミングがないままになってしまった。

(お蔵入りしないよう、ここでせめてもの開陳とさせていただく)

アロンソ、ありがとう!

いつかまた、ベルナベウに還ってきてほしい。

そしてアルベロア、頼むよ!

(と言っていたらコパでアルバセーテに撃沈される…)

それでは、今日もy Nada Mas


ブーイングのベルナベウ──愛と憎しみの表現

今日のラインナップはこちら

“ノー・ニュース”クルトワ

小ブーイング
アセンシオ
ハウセン
カレーラス

カマヴィンガ
チュアメニ
中ブーイング

ゴンサロ・ガルシア
エムバペ
大ブーイング

コーチ:アルベロア

ベルナベウは激怒していた————

ベルナベウを埋めたスタンドのマドリディスタは声を限りにブーイング。

ここが自分たちのホームスタジアムだとは思えない敵意。

白いハンカチを振り(ペレス会長や選手へ「去れ」のメッセージ)、ペレスの辞任を要求するプラカードを掲げた。

リーガのカメラのスイッチング技術が冴える。

ペレス、ヴィニ、ピントスを交互に写し、マドリディスタの怒りの、その悪魔的な風向きを可視化する(笑)

試合開始後も、ブーイングは止まない。

ベルナベウは激怒していた。

レアル・マドリードのホームスタジアム、サンティアゴ・ベルナベウのスタンド全景
ベルナベウは静かに、しかし確かに怒っていた。レアル・マドリードのホームに漂う異様な緊張感。

メロスより激怒していたし、その思いはすでに太宰治が綴っていた。

———ベルナベウ(メロス)は激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)のペレス(王)を除かなければならぬと決意した———

そしてこう続く。

ベルナベウ(メロス)には政治がわからぬ。

そうだ、僕たちは政治を知らない。でも、表現はできる。

純粋な、愛の表現を。

僕たちの愛を踏みにじるものへの、純度の高い輝いた憎しみを。

僕たちは、政治も、フットボールクラブ経営も分からん。

だけど、レアル・マドリードは僕たちの人生だ。

僕たちの好きに語らせてほしい。愛し、憎ませてほしい。

ブーイングの最大のターゲットはヴィニであり、中ターゲットはベリンガムで、小ターゲットはフェデのようだった。

これ、全員が気分を害して「クラブを出たい」と言い出したらどうするんだろう、というレベルの執拗なものだった。

長らくマドリディスタとして生きてきたが、ここまでの事態は初めてではないか。

スタジアムで白いハンカチを振り抗議するサポーターのイメージ
白いハンカチを振るスタジアム。ベルナベウに集まったマドリディスタの意思。(イメージ)

低調な前半と「思考時間」を与えた構造

試合が低調過ぎてそんなことを考えていたが、僕の結論は単純なところへ落ち着いた。

出たいヤツは出ていけばよい。

マドリディスモをもつ選手は他にもいる

試合はブーイングの影響か、低調なものだった。

コーチ交代からの時間を考えると戦術練習などできるはずもなく、当然最低限の約束事ぐらいしか確認できていないだろう。

マドリーに約束事がないので、プレイヤーはボールを引き出して、受けて(受けながら)から考える。

結果、レバンテの選手たちは十分な「思考時間」をもつことができた。

コーチの色が出やすい守備面では、チュアメニのプレッシング位置が高くなっているような気がした。

俺たちのハウセンは凡ミスを連発、競り合いにも勝てず、どうもらしくない(実際後半途中で交代したが、ケガなのだろうか)。

ボールがゴール前に行かないフラストレーションから、エムバペが無理な中央突破を試みようとしたシーンが象徴的な前半だった。

前半で、動けている印象があったのはアセンシオ、中ブーイング、カレーラスだったか。

走れないメロスたちの前半だった。


ギュレルの投入が「時間」を変えた

得点が入るとすればセットプレーか、不条理(個人技術)しかないな、と考えながら後半へ。

カマヴィンガとゴンサロに代えて、ギュレルとマスタントゥオーノがピッチイン。

そして、結果的にギュレルが変化をもたらした。

ギュレルのパスは「時間」を操作することができる。

優秀なパサーはみんなそうだが、ワンパスで他の選手の時間を止めたかのような状況を生むことができる。

そういう文脈のなかで、僕はギュレルにエジルやグティを映し見ることがある。

(このことはいつか文章に表現してみたい)

ギュレルが入ったことで、相性抜群のエムバペがやっとネットワーク接続された(笑)

エムバペがもらった先制点のPKにつながるドリブルも、ギュレルがエムバペに届けたボールだった。

このときも、もうエムバペにしかボールを渡すつもりないです、とばかりにギュレルが中盤で角度をつけながらドリブルしたものだった(笑)

(そしてちゃんと渡すからすごい)


自由の中で開く才能と、再現性の葛藤

その後、ギュレルのコーナーキックをアセンシオが頭に合わせて追加点。

このころからボールの周りと人の動きがよくなる。

戦術でも約束事でもない。

試合の帰趨がみえてきたのもあり、各自が自由にボールを求めて動いた結果だと思うが、それがここ最近のプレーで最も効果的なものだったというのも皮肉だ。

彼らは世界トップ中のトップの選手たちだ。

束縛よりも自由のなかでそのポテンシャルのすべてが開かれるのかもしれない。

何かに秀でた人間同士にだけが感じ合う、あの変な理解しあえる感覚はルールのないところで発現する。

ただし、再現性が低い。

この高次のプレーの「再現性が低い」をいかに高めていくか、ここにフットボールの葛藤がある。


次節へ、そして宗像のマドリディスタへ

長くなったので、今週はここまでで。

チームはミッドウィークにチャンピオンズのモナコ戦をへて、週末のヴィジャレアルとの試合、というスケジュール。

それではまた、ヴィジャレアルとの一番で会いましょう!

宗像近郊のマドリディスタのみなさん、機会があればぜひお会いしましょう!

Hala Madrid!

#RealMadridLevante

Yo, Miyazaki, el representante, llevo más de 30 años cautivado por el fútbol español———, o mejor dicho, para ser más preciso, soy un madridista apasionado (Real Madrid).
Y mi sueño es que algún día pueda “crear una comunidad en Munakata centrada en el Real Madrid”.
(hasta aquí es igual que la vez anterior)


¡Feliz Año Nuevo!

¡Este año también, empecemos con buen pie al grito de Hala Madrid!


La destitución de Xabi Alonso y la distorsión de la organización

Esta semana, una sacudida recorrió a la afición.

Destitución de Xabi Alonso———-

El comunicado oficial decía que, tras la derrota en la Supercopa, el club y Alonso habían acordado rescindir el contrato de mutuo acuerdo tras una reunión.

Para llegar hasta aquí han intervenido múltiples factores, y para nosotros, desde fuera, alcanzar la verdad es una tarea casi imposible.

Pero imaginar es libre y gratuito.

Yo pensé que lo más importante fue que el club no pudo gestionar a los jugadores y, además, no le dio autoridad al entrenador (Alonso).

Desde alrededor de noviembre, cuando se dice que Alonso gritó: «(A unos jugadores tan indisciplinados) ¿Esto es una guardería?», (como también escribí en este blog) Alonso ya no podía tomar decisiones valientes en sus alineaciones.

(Circulaban por Instagram fotomontajes en los que se comparaba a los jugadores con niños de guardería, una ironía que provocaba una risa casi nerviosa.)

Aquello no fue ni una táctica ni una estratagema de Alonso.

Aquello fue una especie de “solución” fruto del fuerte sentido del deber—o mejor dicho, de la responsabilidad—de Alonso.

Foto de un perro junto a un balón de fútbol. Una imagen metafórica sobre el fútbol.
No tiene un significado especial; no es una burla.

¿Hay futuro para un equipo que no honra al vencedor?

El cambio en la relación de amo y vasallo entre Alonso y el equipo la semana pasada dejó escenas reveladoras en la retransmisión local tras la Supercopa.

Al terminar el partido, Alonso, intentando mostrar respeto al Barça campeón, hacía gestos a los jugadores dentro del campo para que formaran un pasillo de honor.

En respuesta, Mbappé, que estaba cerca de la banda, hizo un gran gesto con la mano izquierda hacia la salida, como diciendo: «¡Eh, nada de eso! ¡Nos vamos! ¡Salid del campo!»

Y un segundo después, incluso Rodrygo, que estaba al lado de Mbappé, repitió el mismo gesto, apelando a Alonso y a Hausen, que en sandalias miraba hacia el césped.

Y así, el Madrid se marchó del estadio de Arabia Saudí sin rendir homenaje a los jugadores del Barça.

Si yo fuera Alonso, no lo soportaría.

¡Rodrygo, tú también!

Eso es.

Y en ese instante, recordé como si fuera ahora que en el pasado me había caído fatal Mbappé (se podría decir que lo detestaba), y se me extendió un sabor desagradable en la boca.

Y 24 horas después, se decidió que el sustituto sería Arbeloa.


¿Quién debe asumir la responsabilidad?—El orgullo del madridista

No creo que, de aquí en adelante, el Madrid vaya a nombrar a un entrenador de fútbol moderno de talla mundial.

Enseñar a “niños de guardería” es una tarea dificilísima.

Aun si al menos existiera el apoyo del club… sin ni siquiera eso, una revolución no puede nacer en un mando intermedio al que no le dan nada.

¿Quién vendría adrede a manchar su carrera como entrenador?

¿El honor?

Con esa idea, ya queda descalificado.

Pero hubo algo que me dejó un cierto alivio.

La encuesta de MARCA, una vez más, mostró el orgullo del madridista, o mejor dicho, su alto nivel de civismo.

Ante la pregunta de dónde recaía la responsabilidad de esta salida, más del 40% señaló al presidente Pérez, más del 40% a los jugadores, y Alonso obtuvo un 6%.

No hay que subestimar a los madridistas.


Una derrota aburrida por una táctica que anula al rival

Bien, vi los dos partidos de la Supercopa, así que lo resumiré brevemente.

En la semifinal contra el Atlético, fuimos superados por pura fuerza.

En la final, se mostró un respeto excesivo al Barça.

Me sorprendieron la elección de jugadores y esa táctica defensiva. Me recordó a los tres mediocentros que Mou (Mourinho), sin vergüenza ni pudor, llegó a plantar cuando el Barça de Pep lo destrozó (y, en aquel entonces, uno de esos tres mediocentros era, sin duda, Alonso).

Se suponía que ya habíamos aprendido que, por lo general, un plan de juego (un negocio) basado en anular las virtudes del rival tiene pocas opciones de victoria.

Sobre esto, habrá quien diga que, tácticamente, se bloqueó bien el carril izquierdo del Barça.

Pero, ¿qué emoción y qué futuro puede haber en un fútbol (un negocio) así?

Y al final, perdimos.

Después ocurrieron los hechos ya mencionados, y Alonso fue destituido.


Para Alonso, y luego para Arbeloa

Y eso que todavía tenía historias guardadas.

Una de ellas era que, a veces, Alonso se parece al actor de Hollywood Mark Wahlberg, pero se me pasó el mejor momento y se quedó sin sitio.

(Para que no se quede en el cajón, lo dejo aquí como una pequeña confesión.)

¡Alonso, gracias!

Ojalá algún día vuelvas al Bernabéu.

¡Y Arbeloa, te lo pido!

(…y justo cuando lo decía, caemos abatidos por el Albacete en la Copa.)

Entonces, hoy también, y Nada Mas


El Bernabéu de los abucheos: la expresión del amor y el odio

La alineación de hoy es la siguiente

Courtois “No-News”

Abucheos leves
Asensio
Hausen
Carreiras

Camavinga
Tchouaméni
Abucheos medios

Gonzalo García
Mbappé
Abucheos fuertes

Entrenador: Arbeloa

El Bernabéu estaba furioso————

Los madridistas que llenaban las gradas abucheaban a voz en cuello.

Una hostilidad que no parecía propia de su estadio.

Agitaron pañuelos blancos (un mensaje de “lárgate” para el presidente Pérez y los jugadores) y levantaron pancartas exigiendo la dimisión de Pérez.

La técnica de realización de LaLiga brilla.

Alternando las tomas de Pérez, Vini y Pintos, hace visible (jaja) la dirección diabólica del viento de la ira madridista.

Incluso después de empezar el partido, los abucheos no cesaron.

El Bernabéu estaba furioso.

Vista general de las gradas del Santiago Bernabéu, estadio del Real Madrid
El Bernabéu estaba en silencio, pero furioso. Una tensión extraña flotaba en el hogar del Real Madrid.

Estaba más furioso que Melos, y ese sentimiento ya lo había escrito Osamu Dazai.

———El Bernabéu (Melos) se enfureció. Decidió que debía, sin falta, eliminar al perverso y tiránico Pérez (el rey)———

Y así continúa.

El Bernabéu (Melos) no entiende de política.

Así es: nosotros no entendemos de política. Pero sí podemos expresarnos.

Una expresión pura, de amor.

Un odio brillante, de alta pureza, hacia aquello que pisotea nuestro amor.

No entendemos ni de política ni de gestión de clubes de fútbol.

Pero el Real Madrid es nuestra vida.

Déjennos hablar como queramos. Déjennos amar y odiar.

El principal objetivo de los abucheos parecía ser Vini; el objetivo medio, Bellingham; y el objetivo menor, Fede.

Era un nivel de insistencia tal que te hacía pensar: ¿qué pasará si todos se ofenden y dicen que “quieren irse del club”?

He vivido mucho tiempo como madridista, pero no recuerdo una situación así.

Imagen de aficionados agitando pañuelos blancos en un estadio como forma de protesta
Un estadio agitando pañuelos blancos. La voluntad de los madridistas reunidos en el Bernabéu. (Imagen)

Una primera parte apagada y una estructura que dio “tiempo para pensar”

Mientras pensaba en todo eso por lo flojo que estaba el partido, mi conclusión acabó aterrizando en algo simple.

El que quiera irse, que se vaya.

Hay otros jugadores que tienen madridismo.

El partido, quizá por el efecto de los abucheos, fue apagado.

Teniendo en cuenta el poco tiempo desde el cambio de entrenador, era imposible entrenar táctica; como mucho, habrán confirmado apenas unas mínimas pautas.

Como el Madrid no tiene pautas, los jugadores piden el balón, lo reciben y (mientras lo reciben) luego piensan.

Como resultado, los jugadores del Levante pudieron disponer de suficiente “tiempo para pensar”.

En defensa, donde se nota más el color del entrenador, tuve la sensación de que la posición de presión de Tchouaméni era más alta.

Nuestro Hausen encadenó errores tontos, no ganó duelos, y no parecía él (de hecho, fue sustituido a mitad de la segunda parte; ¿sería una lesión?).

La frustración de no llevar el balón al área se vio en una escena simbólica de la primera parte: Mbappé intentando una irrupción forzada por el centro.

En la primera parte, quien me dio sensación de estar más activo fue Asensio, el “abucheo medio”, y Carreiras, quizá.

Fue una primera parte de Melos que no podía correr.


La entrada de Güler cambió el “tiempo”

Con la idea de que, si llegaba un gol, sería a balón parado o por lo absurdo (la técnica individual), nos fuimos a la segunda parte.

Salieron Camavinga y Gonzalo; entraron Güler y Mastantuono.

Y, en definitiva, fue Güler quien trajo el cambio.

Los pases de Güler pueden “manejar el tiempo”.

Todos los grandes pasadores son así, pero con un solo pase pueden crear una situación como si hubieran detenido el tiempo de los demás jugadores.

En ese contexto, a veces veo en Güler a Özil o a Guti.

(Esto me gustaría expresarlo en palabras algún día.)

Con la entrada de Güler, Mbappé, con quien encaja a la perfección, por fin quedó conectado a la red (jaja).

También el regate que derivó en el penalti del primer gol que recibió Mbappé nació del balón que Güler le entregó.

Incluso entonces, Güler condujo desde el medio con ángulo, como diciendo “no pienso darle el balón a nadie más que a Mbappé” (jaja).

(Y encima se lo da bien, por eso es increíble.)


El talento que se abre en libertad y el conflicto de la reproducibilidad

Después, Asensio remató de cabeza un córner de Güler para el segundo.

Desde entonces, mejoran el movimiento del balón y el de los hombres alrededor.

No fue ni táctica ni un conjunto de acuerdos.

Creo que, al ver el rumbo del partido, cada uno empezó a moverse libremente para pedir el balón; pero es irónico que eso haya sido lo más efectivo de sus últimos partidos.

Son jugadores del máximo nivel entre los máximos del mundo.

Puede que, más que con ataduras, todo su potencial se abra en la libertad.

Esa extraña sensación de comprenderse que solo sienten quienes sobresalen en algo aparece donde no hay reglas.

Sin embargo, la reproducibilidad es baja.

Cómo elevar esa “baja reproducibilidad” del juego de alto nivel: ahí está el conflicto del fútbol.


Hasta la próxima jornada, y para los madridistas de Munakata

Como se alargó, lo dejamos aquí por esta semana.

El equipo tiene entre semana el partido de Champions contra el Mónaco, y el fin de semana, el encuentro contra el Villarreal: ese es el calendario.

¡Entonces, nos vemos en el partido contra el Villarreal!

A los madridistas de los alrededores de Munakata, si se da la ocasión, ¡me encantaría que nos viéramos!

¡Hala Madrid!

#RealMadridLevante

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