Brock’s one night Bar ———縁は異なもの、味なもの
みなさん、こんにちは。宮崎です!
「縁は異なもの、味なもの」と昔から申しまして、えー、これは男女間の結びつき、“えにし”は不思議なもので、そして、「あじなもの」、「おもしろいもの」、という表現でございます———
と落語のマクラのように入りましたが、みなさんも長く生きていると、しんとした夜にふと振り返って「不思議な縁だな」とあたたかい気持ちで思い出す“えにし”が、ひとつやふたつ、あるのではないでしょうか。
今回はそんな出会いと別れのブログ。
宗像の英語キャンプという舞台
宗像市には、子どもの話す力を向上させるための「イングリッシュキャンプ」というプログラムがある。
このイングリッシュキャンプの講師は、すべてこのために集まった英語ネイティブのみななさん(逆に日本語が話せない人がほとんど)!
欧米を中心に、世界各国から集まった講師陣との「生の」ふれあいにより、子どもたちは英語のリアルに触れることができる。
何とステキなプログラムだろう。
私の時代には考えられないことだ。
実際、私はまぁまぁ田舎の出身であるため、江戸時代の庶民と同じぐらい海外(欧米)の方にふれる機会がなかった(朝鮮半島の人たちは多かったが)。
Aさんからの一本の電話、Brockが背負ってきた現実
現在もちょうどイングリッシュキャンプの開催時期だったが、ある日知人のAさんから電話をいただいた。
「宮崎さん、相談があります。実は、いまイングリッシュキャンプで宗像に来ているBrock(ブロック)さんという方が、日本に移住したいと仰っていて…」
聞けばこのBrockさん、なかなかすさんだ地域のなかを、さらに神のいたずらも過ぎる複雑な家庭環境で生きてこられたよう。
いわゆるラストベルト(錆びた工業地帯)と呼称されスラム化が進行する地区(ラストベルト、と聞くと『ヒルビリー・エレジー』を著したヴァンス氏がトランプを支援し、副大統領になったときの残念な感情がよみがえる)の出身で、私たちが報道で見聞きするよりも数倍、彼が体験してきた都市の現実はハードだった。
彼には愛してやまない奥様と娘さんがいて、家族に自分と同じ体験をさせたくない、そのためには、この生活環境から抜け出したい———
その願いが、彼が移住を考え始めたきっかけだった。
そして、その選択肢のひとつが、日本だった。
宗像での手応えと面談

そんなわけでイングリッシュキャンプの機会をつかんで来日したBrock。
実際に日本、というか宗像市内で生活をしてみて、宗像市の生活がいたく性にあったよう(本人曰く、自然環境の豊かさと、生活利便性のバランスが良いから)。
意を決したBrockは日本での世話人であるAさんに、移住の意思を伝え、そのAさんから私に前述のとおり相談があった、というわけである。
早速、Brockと(Aさん同席)の面談をセットし、くわしく話を聞いたところ、既にここに書いたことのほか、(他者の人生をこんな簡単に書くのは嫌だが)彼のこれまでのキャリアが分かった。
救急の現場から料理の道へ
Brockは1996年生まれの30歳で、キャリアの始まりは救急医療の最前線。
生命の危機にある人を救う救急車に7年乗った。
最初の転機は愛娘の誕生。
荒れる救急車両のなかで「これからどうやって娘を支えていくか」を朝な夕なに考える毎日。
彼には料理という趣味があり、メキシコ料理店でパートタイムの腕をふるったりしていた。

そんなある日、彼は、自らすすむべき針路を定めて、(面舵か取り舵か)大きくその道を変えた。
針路は「文化の交流となるキッチン」の世界で生きること。
そして、そのために、料理の道を究めること。